駒大うろこ話 #2 『知っているようで実は知らないあの広告の秘密!60分でこれからの広告のあり方を考えよう!』Part2

こんにちは、PAOstudioの大杉です。

Part1では駒澤大学のスローガン作成の意図やコロナで変化した広告の事例をもとに

お二方にお話を伺いました。

Part2では「災害時における広告の変化」について専門的な視点でお話を伺いました!

今回のコロナで変化した広告と2011年に起きた東日本大震災の時に変化した広告の共通している部分、または、大きく見られる違いなどはありますか。

坂本様「そうですね。震災の時との大きな違いは、震災の時は、終わり、底があったことでしょうか。沢山の人が亡くなり悲しい出来事が多くありましたが、底から回復をめざせばよかった。2回、3回とは続かなかった。もちろん、なかなか広告も出せない現状がありました。そしてACの広告が増えた結果になりました。今回のコロナでも多少は同じようなことにはなりましたが、コロナに関しては、長いマラソンと捉えられているように、人に会えない、近寄れない、または、自分を守るなど、継続的に生活に関わることが多いため、そこが大変難しいので、大きな違いが見られますよね」

中野教授「なるほど。今の話をお聞きして、坂本さんにここで一つお伺いしたいのですが、D&AD賞を受賞し、坂本様のチームが作られた、JR東日本の『行くぜ、東北。』についてお話をお伺いしたいと思います。この『行くぜ、東北。」は東日本大震災から復興する東北を発信し続けてきたということなのですが、この『行くぜ、東北。」は、どういったプロセスや思いで作られたのかを、ぜひお伺いしたいと思います」

坂本様「あの時は日本全体がすごく悲しみに明け暮れていたと思います。また、震災の前の年に青森新幹線開通というニュースが有り、盛り上がっていたこともあって、東日本大震災で、かなり東北だけでなく、日本中が暗い雰囲気になってしまいましたよね。JRという会社はインフラなので、人と人、人とモノを繋ぐ、であったりするので、絆などのワードはたくさん出回った。その中で、2009年にニューヨークで起こったテロの復興キャンペーンとして「ニューヨークに行こう」という新聞広告がありました。その時に“行く応援”というものが、とても大切で、その応援する気持ちをずっと長く続けてもらえる、大切にされるキャッチコピーにしたいというムードがあったと思います」

中野教授「なるほど。この『行くぜ、東北」は、長期的な視野でやろうと思っていたということですか。」

坂本様「そうですね。長く愛されるものになるといいねと。今年で10年目を迎えています。今年も、オリンピックのインバウンド事業やGo Toキャンペーンとも連携しています。」

---「行くぜ、東北。」は、作成者である坂本様の思い(東北を応援したい気持ちが長く、大切にされるキャッチコピーにしたい)が伝わるだけでなく、この言葉のメッセージに勇気づけられた人たちの表情が強く伝わってきますよね。

D&AD賞の詳細は以下のリンクを参照してください。


次回のPart3では【アフターコロナとして今後の社会】についてお話を伺いました。未来について前向きに考えることができる内容なので、ぜひお読みください!!

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